Lyzz Yamzaki リズ山崎公式サイト

お問い合わせお問い合わせHappy Morment リズ山崎ブログHappy Morment リズ山崎ブログヘッタ泰.PNG

ホームホームプロフィールプロフィールプライベートセッションプライベートセッションオンラインスクールオンラインスクールコンタクトコンタクトアクセスアクセス

HOME > プロフィール profile

プロフィール

lyzz yamazaki リズ山崎

リズ・山崎
1960年生まれ 横浜出身 本名・木曽いづみ            

株式会社 リズ山崎オフィス代表取締役
心理セラピスト 教育学士 
所属学会:日本森田療法学会認定心理士、 米国催眠療法協会認定ヒプノセラピスト、
日本心身医学会会員、日本オルゴール療法研究所認定オルゴール療法
裏千家茶道専任講師(茶名:木曽宗泉)

リズ・山崎

1981年(21歳)1981年
音楽を勉強するため渡米、北アメリカ大陸横断一人旅を果たす。
グローブ音楽学院卒業後、クラブでの弾き語り、バンド活動、ヴォーカル講師
日系TVでのCMソングなど音楽活動を行う。
米国永住権を取得。
1987年(27歳)1987年
自分への興味から自己探求に没頭、トラウマや前世をトランスパーソナル心理学にて衝撃的に体験後、ニューエイジ、座禅、ヨガ、アメリカインデアン居留地での断食キャンプなど心の旅に拍車がかかる、自らもセラピーを施すようになる。
1990年(30歳)1990年
不思議な神秘体験を通して「宇宙意識との交信(チャネリング)」がはじまる。
一大決心のもと音楽活動を停止、 セラピストとなるべく修行に入る。
スピリチャル・カウンリングを通して、生育歴からのトラウマに着眼、トラウマを癒すことをカウンセリングに取り入れるようになる。(この体験がサラージ・メソッドの基礎となる。)
ロサンゼルスにて日系の新聞、雑誌では連載をもち執筆、ラジオではパーソナリティーとして番組をもつ。
1993年(33歳)
日本で感情を解放するためのセルフセラピーCD「Dream Vision」をリリースする。
1994年(34歳)1994年雑誌「CAZ」
CDリリース直後の父急逝を機に一時日本に拠点を移し「サラージ心理アカデミー」を開設する。
「トラウマ・セラピー」が話題を呼び雑誌「CAZ」など女性誌に度々特集されるも、当時はまだ「癒し」「セラピー」という言葉は市民権を得ておらず、普及の難しさを痛感する。
1996年(34歳)
サラージ・メソッドを心理学的方法論まとめ上げることを目的に大学(明星大学教育学部心理学科通信課)に入学する。
1999年(39歳)トラウマ心理ゲーム
11月処女作「トラウマ心理ゲーム」(メディア・ファクトリー社)刊行。
2000年(40歳)2000年
3月 大学卒業(教育学士学位取得)
7月 結婚
8月「ふたりの未来心理ゲーム」(王様文庫)刊行
2001年(41歳)3冊の新刊を刊行
プライベートセッションを行う傍ら3冊の新刊を刊行
2002年(42歳)NPO法人サラージを設立
4月 精神、心理、教育普及のためのNPO法人サラージを設立する。
一冊の新刊を刊行。
2004年(44歳)2004年
4月 日本森田療法学会主催「森田療法セミナー」の受講を開始する。
「感情免疫力で極上の人生を手に入れる」など3冊の新刊を刊行。
2005年(45歳)3冊の新刊を刊行。
「最高にハッピーな恋愛がやってくる本」など3冊の新刊を刊行。
2006年(46歳)2006年
2月 リズ山崎公式ブログ「ハッピーモーメント」開始
5月 帰国と同時にはじめた習い事の茶道(裏千家茶道)で茶名を得る(専任講師資格)
10月 FMラジオ北海道で番組をもち山崎拓巳氏と共演する。
「愛と幸せを運ぶ セルフ・セラピー30」など4冊の新刊を刊行。
2007年(47歳)2007年サンクチュアリ出版鶴巻社長と2.jpg
プライベートセッションを行う傍ら、「幸せは真逆のルールでやってくる」など7冊の新刊を刊行。
2008年(48歳)2008年
3月 日本森田療法協会 森田療法士 認定コース(4年間)終了
10月 第25回日本森田療法学会(九州大学)にて発表
自叙伝「ブレイブ・ガール」など5冊の新刊を発表。
2009年(49歳)2009年
3冊の新刊を発表。
3月 日本オルゴール療法研究所認定「オルゴール療法士」資格取得
4月 東京・横浜・名古屋・京都・神戸・岡山・福岡等でセミナー・ツアーを行う。
2010年(50歳)日本テレビ「音楽戦士-MUSIC FIGHTER-」心理セラピストとしてゲスト出演
3月 日本テレビ「音楽戦士-MUSIC FIGHTER-」心理セラピストとしてゲスト出演。福田沙紀さん、キングコングさん等と共演する。
12月 リズ山崎公式サイト「LyzzYamazaki.com」を開設。
2011年(51歳)東日本大震災支援
1月 スピリチュアルな部分をより積極的に取り入れ、プライベートセッション、ワークショップにてサラージ・メソッドと融合させるようになる。
5月 東日本大震災支援のためブログにて募った募金にて宮城県南三陸町の人たちのため、喪服をはじめ衣類や物資を届けに現地を訪れる。
文庫版「マイライフ」刊行。
2012年(52歳) 第30回日本森田療法学会(東京大学)にて発表
3月 Ustreamでオンラインワークショップを開始する。
11月 第30回日本森田療法学会(東京大学)にて発表
「傷つかない練習」刊行。
2013年(53歳)DSC_1358.JPG
10月 脳動脈瘤の手術・入院を経験。
プライベートセッション、オンラインレッスン、執筆、セラピスト養成などを行っている。生涯現役を目標に、瞑想、クラシック・バレエレッスン、ヨガなど自己管理に励んでいる。
2014年(54歳)2014.PNG
9月 「『普通』をやめる勇気」刊行。
11月 森田療法学会 認定心理士に認定される。
動画つきメールマガジン「宇宙からのメッセージ」の配信スタート。
12月 「なぜ、あの人の願いはいつも叶うのか?」刊行
2015年(55歳)読むだけで願いが叶う引き寄せ体質のつくりかた.png
3月 引き寄せ体質のつくりかた刊行。
5月 大阪朝日カルチャーセンター中之島教室にてセミナーを行う。
10月 SBS学苑浜松校、岡山コンベンションセンターにてセミナーを行う。
11月 リズ山崎の引き寄せメソッドアカデミーDVDを発売する。
その他、品川、横浜サロン等でセミナー、プライベートセッションを行う。
2016年(56歳)すべては感情が解決する!.jpg
1月横浜、2月静岡、3月品川、4月福岡、5月名古屋、6月大阪、7月仙台、8月品川、9月岡山、10月横浜、11月品川にてセミナーを行う。
2月 会員制サイト「引き寄せ倶楽部、引き寄せアカデミー」を開設する。
9月 すべては感情が解決する!刊行。

リズ山崎 自己紹介

プロフィールに続き、以下、リズ山崎自身の言葉でより詳しいプロフィールを紹介いたします。
時系列になっている部分もありますがそうでない部分もあります。少々長くなっておりますが、ご興味のある方はお読みください。

◆子ども時代◆

【生後から小学生時代】

東京出身の両親のもと、三人兄弟の末っ子として横浜に生を受けました。実家は傘の卸業を営んでおり、いわゆる自営業。お店の奥と二階が住まいでした。スキー、登山、写真が趣味だった父の影響で3歳からスキーを始めました。来客も多く、よくお茶運びをしては可愛がってもらったことを覚えています。

幼稚園からは、明治時代にイギリスの宣教師によって建てられた横浜英和学院というキリスト教主義の女子一貫校に入り中学校までを過ごしました。
成績は5段階で1から5までオンパレード。算数・理科はからきしダメで、体育・音楽・国語はよかったです。
小学校では、陸上と体操に熱中しました。走り高跳びでは新記録を出し、6年生しか出場できない400m走には5年生の私を学校が6年生と偽登録して大会に出させたというエピソードがあるくらいです。
体操で期待され上手になりたくて、バレエを数年間習ったり、元オリンピック選手が指導する体操教室へ東京まで通ったりもしました。ピアノも幼稚園から習いはじめましたが、なにせ身体を動かすことが好きだったもので、こちらは練習せず伸びることはありませんでした。(今となって思えば、現在よくいわれるところの、ADSD、アスペルガー症候群など「発達障害」「学習障害」の域にあったのだと思います。)

走り高跳びでの新記録は「祈りがもたらす奇跡」との自覚が当時からありました。楽しく活発に過ごした小学時代でしたが、4年間近くイジメにあった経験もあります。

【中学生時代】

いじめに悩んだ小学校中学年から高学年、「人はなぜ生きるの」とずっと思っていたのですが、中学1年のとき学校の礼拝堂に座っているとき声が聞こえました。「人は、幸せになるために生まれてきた」と。それから何かがはじけ、いじめの問題も解消しました。
親友と呼べる友だちもでき、中学校では体操部で朝から放課後まで体操の練習ばかりしていました。
兄の影響で、フォークソングやブルースが大好きになり、泉谷しげるさんや武田鉄矢さんも在籍していたエレックレコード(現フォーライフレコードの前身)へ足しげく通い、とくに生田敬太郎さんというシンガソングライターに夢中になりライブやコンサートに出かけるようにもなりました。
学校では体操ばかり、家ではレコードばかり聴いていたのですから、勉学の成績がそれなりだったのは疑う余地がありません。

【高校時代】

「幼稚園からたったひとつの学校環境しか経験しないでよいのか」と考え、にわかに塾通いなど受験対策をし、高校は”外へ”出ました。
徒歩通学から憧れの電車通学、男女共学、風紀もゆるかった学校(横須賀学院)で、Discoにはまったりなど、かなりハメを外し、親や先生型には迷惑や心配をたくさんかけてしまいました。
その一方で、たった一人でスキー部をつくり、関東大会やインターハイにも出場し、関東大会では7位入賞(雪なし県での優勝)を果たし全校生徒の前で表彰されたりもしました。
スキーは3歳からしてはいましたが、回転や大回転など旗門を滑る競技スキーはとてもとても難しくはじめは完走さえできませんでした。けれども登校前に一人早朝練習したりイメージトレーレニングをしたりしたことが上達の秘訣だったかなと、今では思います。
高校時代は、兄が二人いたこともあり家では”三男坊”と呼ばれていたので、男子と行動するのも好きでした。ディスコで踊ったりするのが好きでかなり派手な高校生。いわゆる不良っぽかったですが、ムチャクチャだっただけに、楽しい高校生活でした。
家では相変わらず音楽を聴いたり詞を書いたりエレクトーンを弾いたりなどして、テレビはあまり観ないほうだったと思います。

【社会人のはじまり】

進学も就職活動もしないまま漠然と「音楽関係」と思っていたところ従姉妹の紹介でプロダクションNOVAという音楽事務所に入りました。名だたるところでは、すぎやまこういちさんや森雪之丞さんなどの作家を抱える事務所で、CMソングやアニメソングのレコーディングをするディレクターのアシスタントをはじめました。
レコーディングスタジオの雰囲気やミュージシャンがそれぞれ準備したりする様子がとても好きでした。
そんななか社内異動でアレンジャーの付き人をすることになったのですが、これがとてもハードで、楽しかったので気づかなかったのですが、突然倒れてしまったのです。胃潰瘍でした。
休養を余儀なくされ仕事を辞めました。それからは歯科助手やシーンズショップでバイトをして過ごしました。
20歳になったとき、2年間していた貯金でアメリカへツアー旅行をしたのですが、ロサンゼルスの青空、空気、エネルギーといったものに、何かものすごい衝撃を受けました。
“心が呼吸できる“というか”魂が目を覚ました”というか…感覚的なものなのでうまく表現できませんが、帰国してからも頭から離れず渡米を決意します。
冬の間はスキー場(苗場プリンスホテル内の好日山荘というスキーショップ)でバイトし、21歳の夏、アメリカ ロサンゼルスへ渡りました。

◆14年間のアメリカ生活◆

【21歳 でアメリカへ】

アメリカは私にとってはほんとうに相性がよかったです。
子どもの頃からどうしても目立っちゃう。”出る杭は打たれる的”で、かなりハチャメチャでしたが、まだまだ心のなかで手足を縮めている自分がいたのだと思います。
渡米後、長距離バスで「大陸横断ひとり旅」を1ヶ月しました。
それからは、日本食レストラン等でバイトしながら英語学校へいき、しばらくしてからはノースハリウッドにある音楽学校(Grove School of Music)に二年間通いました。
徐々に、日系のナイトクラブで弾き語りとして、ビアノを弾きながら唄うようになりました。この仕事を帰国する少し前までしていました。
また、その他、日系TVのCMソングや、ユニットやバンドでの活動、作詞作曲の活動、ヴォーカルレッスンのトレーナーなどをしていました。
仕事以外では、スポーツクラブでエアロビクスをしたりダンスを習ったり、空手を習ったりもしました。空手はシュワルツネッガー氏とも親しく、映画「コナン」の太刀の振付もなさった山崎清先生に教えていただきました。
26歳のとき永住権を取得しました。このときわけあって取得できるかできないかで大変な思いをしました。非常に確率が低いことがわかっていたので、ダメなら日本へ帰ろうという気持ちでした。実はそのとき霊能力でマスコミでも有名だった宜保愛子さんに相談したところ「無理だから日本に帰ってきた方がいい」と言われたのです。ところが、私はその電話の受話器を置いた瞬間に、受話器から腕に逆流した電流が脳を直撃するかのような感覚を得、その瞬間なぜか「とってみせる!」と思ったのです。結果、永住権を取得することができました。
こちらのエピソードの詳細は チャネリングと私

その後、26歳ころから”自分とは何なのか”ということをしきりに考えるようになり、心理学や宗教、哲学の本を読んだり集会へ参加したり、ヨガや座禅もするようになりました。
この頃、感銘を受けた本にアメリカの女優シャーリー・マックレインさんの「アウト オン ア リム」シリーズ三作がありまして、私は真の自分、魂の生き方、今世での使命というようなものがあるのならそれを知りたいと強く望むようになりました。そんなとき、自分の前世を体験できるかもしれないという心理セラピーがあると知り、早速受けることにしました。

【「トラウマ」に出逢い、人生が変わる】

私が初めて受けた心理セラピーとは、ドイツ人の心理学者、スタニスラフ・グロフ博士が開発したホロトロピック・ブリージンクという方法でした。(グロフ博士は、エリザベス・Q・ロス博士と同じ考え方で、人間の潜在意識や死後肉体を離れても意識は存在するということを研究、普及されておりトランスパーソナル心理学の創始者です)
そのセッションを受けた私は、なんと、前世体験のかわりに子ども時代のトラウマを体験それは厳しく怖かった母から理由も聞かれず叱られたことへの口惜しさや、理解されない悲しみといった抑圧感情で、意識はあるのですが夢を見ているようなリアルさのある体験でした。
子どもの自分になって泣きじゃくりました。

母との関係は決して悪くはありませんでしたし、自由奔放に好き放題やっていた私でしたがどこかいつも気を使ってほんとうに言いたいことが言えていないところはありました。そして、この経験を機にずっと心の違和感でもあった”本当の自分”と”作られた自分”のナゾが溶けていくようでした。つまり、本当の自分があまり育たず、気に入られる自分ばかりで生きてきたような感覚が自分の中には絶えずあって、その違和感を拭いきれずにいた。その理由がここにあったのかと納得できたという感じでした。
わかったところまではよかったのですが、そこからがさぁ大変。というのもこれまでの自分・人にばかりいい顔しようとする自分と、内側でほんとうは感じている確かなものを感じ分けたり、それはそれはたくさんの物の見方やとらえ方、行動に至るまで、真の自我に生まれ変わるために自分解体を余儀なくされたからです。

同時に母への憎しみを自覚しなければなりませんでしたし、また頭でわかっている母への感謝という部分で葛藤もあり”許し”というテーマにも取り組まなければなりませんでした。
幸運なことにヒッピー発祥の地でもあるアメリカ西海岸は、東洋哲学と心理学を融合した精神世界いわゆるニューエイジのメッカでもありましたから、自己探求のためのワークショップや各種セラピーを受けることができ、仕事を続けつつ自己を再生していくことができました。
グロフ博士やディパック・チョップラ博士のワークキャンプにも参加し、ゲシュタルト心理学の拠点であるエサレン研究所にも滞在するなどしました。
また、自分のほんとうの感覚に従えば従うほど、化粧し着飾るピアノ弾き語りをすることに心身が拒絶反応を示し、仕事を減らし最低限の生活ができるところへ引越したりもしました。

【自然とするようになっていた心理セラピー】

期を同じくして、私が受けたセラピーを日本語でやってほしいと友人から頼まれ、それではと、キーボードで即興演奏をしながら、抑圧感情の解放をするようなセラピーを少しずつ行うようにもなっていきました。セラピーを行なってみると、興味本位で受けてみただけの友人らはそれぞれに内的な体験をされることがわかりました。ある人は泣き、ある人は身体を動かし、またある人は行った覚えはないけれども妙に懐かしい風景のなか平安なひとときを過ごすなどのなどの経験をされるのを目の当たりにし、自己解放の素晴らしさとか、人間の意識の計り知れなさに感慨深いものがありました。

でも、当時はもちろん自分が現在のような仕事についたり本を書くようになったりするなどとは夢にも思っていませんでした。ただ、そのとき、せずにいられないこと、興味のあること、いくらでもしていたいと思うことに夢中だっただけ、という感じでした。

【日本へ帰国 36歳から大学へ】

自己探求に夢中になっていたある日、神秘体験をしました。★詳しくは「チャネリングと私」へ
それを機に、ピアノの弾き語りという仕事にも心身ともに耐えかねて、仕事を辞め、精神的な修行を行いつつ、スピリチュアル・カウンセラー及びチャネラーになりました。30歳を過ぎてのことでした。
34歳のとき、父が急逝したので一旦日本へ戻りました。当時の日本は、スピリチュアルなことへの関心はとても低く受け容れられないと感じました。
ちょうどそのころ、すでに、心理セラピーも提唱するようにもなっており、「トラウマ・セラピー」が雑誌CAZに取り上げられ、チャネリングで得た情報をどうにか心理学的な方法論にできないか、と考え、36歳から四年間、明星大学教育学部 心理学科に学びました。
心理セラピーの仕事をしながらの勉強(課題レポートや単位テスト)はそれなりに大変でしたが、時間と身体を有効に使うトレーニングになりました。

【茶道】

茶道日本に帰国して思ったことは、「私は日本のことを何も知らない」でした。
アメリカでは日本文化を熱心に学んでいる外国人がいることを知りましたし、その人達は本当に「自分に日本人の血が流れていれば」と思っているのに、その日本の血が流れている私はアメリカに憧れ長年生活はしたけれど、日本文化のひとつも身につけていない、と考えたのです。
当時は、そんなに長く日本にいることになるとは考えていませんでしたので、休み休みでも長く続けられるものがあれば、これを機会に入門してみたいと考えました。
それで、私は、借りたばかりのまだ何もないワンルームマンションで、一晩かけてタウンページを1ページずつめくってみました。古美術、刀剣鑑定士、印鑑職人などなど日本ならではの職業がずいぶんあるものだなどとわくわくしながらページをめくったのを思い出します。それで、茶道を習うことにしました。(裏千家茶道)
そこで出会った、私の茶道の師 須坂宗昌先生は、当時70代でいらっゃいましたが、それはそれはやさしく寛大で、また楽しく前向きな素晴らしいお人柄で、私は心底惚れ込み、このご縁、お導きに感謝しました。茶道に関することはもちろんのこと、たくさんのことを経験・吸収させていただくことができました。
先生の助手として、週一回、カルチャー・センターでお教えすることも数年続けました。(もちろんきものを着て)
また外国の方に英語で茶道を教えるためのインターナショナル・セミナーも受講したり、茶道も上級になると茶懐石の料理もできるようにならなければならず、先輩方からも色々教えていただきました。
地道に続け、入門から11年後には茶名を取りました。(木曽宗泉)
現在は、お稽古から少々遠のいており、きものを着る機会もほとんどありませんが、そろそろまた復帰したいと思っているところです。


◆執筆活動の開始◆

【執筆活動の開始】

トラウマセラピーはじめての本が出たのは2000年40歳のときです。雑誌CAZの編集者の方からの紹介で「トラウマ・セラピー心理ゲーム」という本でした。トラウマがテーマでしたが、内容はかなりふざけたもので、迷いましたが、「本が名刺代わりになるからぜひ書くとよい」とその編集者さんも言ってくださったので、出版社さんの要望に応える形で一冊目は出しました。(あとから、勧めてくださった編集者さんでさえ「ずいぶん過激な本を出しましたね」などと言われてしまいました。)
三冊目の「トラウマ・セラピー 幸せの法則」で、ようやく自分が伝えたい内容の本を出すことができました。
それから12年間の間に、文庫化されたものも含め現在36冊の本を出しました。今の目標は「生涯現役」です。


【結婚】

結婚結婚結婚願望はあったようななかったような。
仕事を生涯続けていくことが最優先でしたので、友人からは「あなたに必要なのは“奥さん”ね」などと言われていたくらいでした。それでも縁あり2000年には、歳の差婚&スピード婚をし、現在に至ります。
スピード婚だっただけに、結婚してからお互いのことがわかってくることが多く、後に引けないところもあり、時にはずいぶん踏ん張りましたが、それはお互い様のこと。
結婚生活は素晴らしい成長の場だと思います。ぶつかったり話し合ったり、理解しあったり補いあったり、意固地になったり謙虚になったりしながら…10年過ぎたときようやく
夫婦になってきた感があり、「そうか、“夫婦には”、”なっていくもの”なのか」などと思いました。
夫の趣味はサーフィンとジム通い、私はバレエのレッスンとチャネリング、と、共通の趣味はありませんが、ほとんど毎週温泉へいっています。B型同士だからなのか、干渉し合わないのがちょうどよいのかもしれません。


【森田療法との出逢い】

森田療法2004年から4年間、森田療法セミナーに学び、森田療法を習得しました。
現在では、日常のセッション等に用い、学会発表、論文投稿に励んでおり、2013年内には、「認定森田療法士」取得予定です。
(詳しくは★「森田療法と私」)


【けっこう辛かった更年期障害】

40歳半ばから更年期障害に苦しみました。それも、ホットフラッシュといわれるほてりや発汗など典型的な症状がなかったため、はじめ何かの病気かと心配しました。
更年期障害は、その名の通り更に年を重ねるにあたっての時期ですが、それは「更に生きていく」ための工夫や見直しの時期でもあるのかと、今は思います。それまでは、無理がきいたけれど、心身辛いとほんとうに無理できません。それでも「これまでどおり」を続けていくには、どこをどう緩めるか、手放すか、そうしたことをこの時期ずいぶん考えました。今は症状的なものは終わりかけているように思います。

【オルゴール療法との出逢い】

オルゴール療法との出逢い更年期障害とはわからずに症状に苦しんでいた2008年の秋、オルゴール療法に出会いました。なにしろ身体が重くてだるくて疲れ果てて、肩や首が張って仕方がなかったあるとき、オルゴールに手をあてて30分くらいいたところ、すっかり軽くなってびっくりしてしました。
更年期障害は女性ホルモンの現象によりますが症状としてはどれも自律神経失調症に関係します。
精巧なオルゴール(スイス ルージユ社)の発する超高周波と超低周波は、人間が耳で聴こえると認識できるいわゆる「可聴域」を遥かに超えた幅広い波動だそうですが、この周波・波動が、自律神経を司る脳幹に直接、作用するようです。
それほどの超高周波と超低周波の中に身をさらすには、一流のオーケストラの生演奏を聴くか、ジャングルの中にいるときかしかないのだそうです。(「オルゴールは脳に効く」(佐伯よしかつ★)
その効果に驚いた私は、プライベート・セッションやワークショップでもオルゴール・セラピーも導入しようと、日本オルゴール療法研究所を訪ね、オルゴール療法士第一号にならせていただきました。
現在では、CDでの音楽も使いますが、オルゴールの超音波、微振動が波動によいので、セッションではオルゴールを積極的に用いています。