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Writing & Behind the Scenes執筆活動&ウラ話

執筆活動ウラ話

ロサンゼルスでピアノの弾き語りをしていた私が、なぜ40冊も本を書くことになったのか執筆の裏話をほんの少しインタビューしていただきました。
一冊ずつ想いを込めて綴ったこれまでの書籍の数々は、今となっては、私の歴史であり、宝物でもあります。
しかし本を作ることは、私ひとりでは叶わないことです。一緒に二人三脚で執筆のサポートをしてくださった編集者さんとのご縁やお力添えあってのこと。
公私共に20年以上仲良くさせていただいている編集さんもいらっしゃり、そんな素敵なご縁も私にとって大切な大切な宝物なのです。楽しんでお読みいただけたら幸いです。

執筆活動と私

文庫化された本や、すでに絶版になっている本も含めて現在40冊の著書がありますが、本を書こうと思ったのはいつ頃だったんですか?

はじめ20代のころ漠然とそう思いました。そのころは、私自身、自分探しのようなことをしていて、当時はプラス思考とかいう考え方がまだなかった時代でしたから「思い方ひとつでこんなに変わるんだ!」って興奮していた時期で、人に伝えたくてしかたがなかったんです。はじめに思ったのはその頃でした。でも、お友達に何気なく話したら「なにバカなこと言ってるの?」と笑われてしまいましたが。(笑)

それでも今、その夢は実現していますよね。

そうですね。だから思いは叶う、なりたい自分は、自分が作っていけるということを私はすごくお伝えしたいんです

漠然だった思いが具体的になったきっかけというのはあったんですか?

35歳のとき「Dream Vision」という癒しとイメージ法のCDを出したんですけど、その直後、父が急逝したこともあり日本に帰ってきたんです。これもタイミングというか導きみたいに私は、思っているんですけど。それで早速、横浜の実家近くにワンルームマンションを借りてチャネリングやトラウマ・セラピーをはじめようとフリーペーパーに広告を出してみたんです。当時は「セラピー」「トラウマ」なんて言葉は、まだ日本には、まったく広まっていなかったので“何それ?状態”だったんですが、そういう言葉にどれくらいの人が反応してくれるんだろうという思いで試しに広告を出してみたという感じでした。
Anyway, そうしたところフリーペーパーの広告から別の雑誌から取材が来て、その雑誌を見たCAZという雑誌(扶桑社)からさらに取材がきて、太田垣晴子さんが体験してくださったりして「トラウマ・セラピー」が大々的に取り上られたんです。それがそのとき平田静子さんとおっしゃる当時の編集長さんから「リズさん話がうまいから本を書くといいですよ」と言っていただいたんですね。そこで「本か…そういえば」と本を書くという思いが再燃しました。

執筆秘話その1

でも、それから4年間大学へ行かれたんですよね。

そうです。それでも心理学をきちんと学ぶ必要性を感じたので通信制の大学で勉強しました。40歳のときに大学を卒業して、その年に「トラウマ心理ゼーム」を出版したのが初めでした。
はじめの二冊はいわゆる「テスト本」といって心理ゲームの類でした。そうしたら雑誌社からも「心理テスト」の依頼が来るようになりまして、ありがたかったんですが「このまま行くと“テスト屋”になってしまうぞ」と思ってですね、自分が伝えたい内容の原稿を書かないと、と思ったんです。

それが青春出版社からの「トラウマ・セラピー 幸せの法則」ですね。

そうです。実は、あの本は、私が編集者にお渡しした原稿が硬い印象だったらしくて、編集者さんは、内容は面白いけど私に書かせるわけにはいかないと思ったみたいなんですね。それで「序章」以外の大部分は取材形式と口述形式で実際にはライターさんが書いたんです。ところが私が書いた序章を編集者さんは、すごくいい、と気に入ってくださり、後から聞いた話では、そのとき「この人書ける人なんだ」って思ったんですって。そこから現在につながっている感じです。

執筆秘話その2 トラウマがあったから今がある

文章を書くのは、昔から好きだったとか、うまかったというのはあったんですか?

とくになかったですよ。国語の時間の作文は、まあまあでしたが、コンクール入賞級とかいうのでは全然ありませんでしたし(笑)。ただ日記とか手紙を書くのは好きでしたね。
書く人になってみて、私、面白いこと発見したんすけど、ここでシェアさせていただいてよろしいですか?

ぜひ、お願いします。

先に平田さんという当時のCAZ編集長さんが、話がうまいといってくださったと話しましたでしょう?そのとき、あることに気づいたんですよ。それはですね、もしも、それを能力・才能と呼ぶことができるならば、それは、私に多大なるトラウマを与えてくれた母の影響がすごく大きかったことだったんです。
子どものころ母は、私がこちらの人によかれと思って何かいえば「あちらの人のことも考えなさい」といい私を叱るんですね。それで、あちらの人を喜ばせようと何かすれば「こちらの人は、どう思うと思うの!?」なんて、どのみち私を叱るわけなんです。そんな影響もあって「私は、いつも叱られることに怯えて自分の手足が伸びていなかったんだ」ということでトラウマを発見してからはずいぶん母を恨みましたし、また、それを許すということにずいぶんエネルギーを注いだんです。でも話がうまいとかオモシロイと言っていただけたのは、その母のおかげだなと、だから子ども時代のトラウマって一種の英才教育だったんだ、なんて思いました。

ただ、さらに面白いことには、トラウマを受けた本人が過去を許せていないあいだは、それは単にネガティヴな思い出や経験なのであって、その意味が発揮されることはない。そこでセラピーを通して自分を許し受け容れ、同時進行で自分トラウマを与えた人や思い出したくもなかったような過去を許し受け入れられる自分になるとき「あの経験の意味」が生きてくるんだなぁ、と。今では、トラウマを抱えている方に対して、そのような説明もしますし、その意義を見出していっています。現実としては、すごい辛い非常な経験だったわけだけれど、なにか、もうひとつの次元というか精神的な意味あいとしては、その人の人生にとってポジティヴでその経験こそ必然的だったといえるような意味があるはず、という見方をしていくわけです。このあたりの部分が現在では、まだまだ「スピリチュアルな観点」みたいになっているのかもしれませんが。見えない真実を見出す姿勢で生きていたら、ほんとうにすべてはパーフェクトということがわかるというふうに考えているんですよね。

執筆秘話その3 霊能力者宜保愛子さんとの意外な関係

宜保愛子さんに関する秘話もあるみたいなのですが?

宜保さんのお宅と私の実家は、すぐ近くで、宜保さんの霊能力はマスコミで有名になる以前からご近所では知られていました。あるとき私が宜保さんにある相談をしようとアメリカから電話したところ、私が一言「相談があるんですけど」といった時点で、すべて何についての相談か、そしてその周辺の人物などのことまで言い当てられたんです。

ぎゃ~!ほんとですか。

ほんと!ほんと!でも、宜保さんからの答えは「それはうまくいかないから、あきらめなさい」だったんです。

えーっ!それはショック!

ですよね、でも確かに、経験者や専門家の方からも、うまくいく確率は極めて低いといわれていましたし資金もいることだった。だから、やっても無駄ならやめようという気持ちもあって相談したわけなんですけど。それで「うまくいかないから諦めなさい」といわれ、意気消沈した私は、電話の受話器を置いたわけなんです。ところが受話器をおいたその瞬間、私の腕にものすごい電流みたいなものが逆流してきたんです。それが腕から肩、肩から脳の中に達した瞬間、私の脳は「やってみせる!」と言ったんです。今でもほんとうに不思議なんですけど。それにこの話はほんとうに内々でしかしたことがなかったんですけど。

ええ?それでそれで、結果は?

うまくいったんです!

では、宜保さんは、当たらなかったということじゃないですか

普通そう思うでしょ。でも私は、そうは思わなかった。なにしろ、あの方の透視力の凄さはよくよく知っていましたから。それより私が考えたことは「私は確かに弱気な状態で電話相談した。だから宜保さんには、弱気な電車のホームに乗っている私が見えたので”このまま行くと”の行先が見えたのに違いない」と「でも電話を切った直後、私は”やってみせる”と強気なホームに乗り換えた。だからホームを乗り換えたから、行き先へ続くレールも変わった。だから宜保さんの助言を覆した。そういうことだったんだ。」と。

でも、そのとき私が思ったことは「だったらどうして宜保さんは、そのことをいってくれなかったんだろう?」という疑問でした。有名な芸能人やスポーツ選手、会社の経営者や病気の人などがほんとうによく宜保さん宅に出入りしていたのを知っていましたから「そういう人たちの中には、宜保さんから“無理だから諦めなさい”といわれて諦めた人もいたはず」と「だったら、どうしてそれを宜保さんはいわないの?」と。でも、その疑問への答えは、即座にもたらされました。「それは宜保さんのお仕事ではないから」と。そこで「だったら、私がそのことを伝える人になればいい」と、そういうふうに思ったんですね。無謀といえば無謀!(笑)

すごくオモシロイです。それで、いつか本を書こうというふうに思われたんですね。

そうです。あれほどの人から、もしも「あなた今、弱気のホームに乗っているのが見えるわ。もしもあなたか今すぐ強気のホームに乗り換えることができたら、すべての結果は変わるものなのよ」といわれたら、みんなその方法を知りたがったろうにって。でも、それを教えるのが宜保さんのお仕事ではなかったんだから、私がそれをする人になればいいと。

は~…。そういう裏話があったとは。

今、住んでいる家の隣が大きな公園で、子どものころ夏休みには、そこでラジオ体操をしたんですね。そのとき子ども会のお母さんの一人がお当番制で参加のハンコを押してくれるんですよ。で、宜保さんのときだけ首にぶら下げているカードに押してくれるハンコに、ものすごい「気」が込められているのを子どもの私は、なぜか感じていたんです。ただハンコを押してくれるだけなのに、何か全身全霊で「届けられてる」「手渡されている」みたいな不思議な感覚…今でもよく覚えています。これは私の感覚的なことですし、妄想的なことかもしれませんが、そんなこともあり宜保さんからいただいたエネルギーなり、手渡された何かなりを私にできる形で受け継いでいきたいと、ヒソカにそう考えているんです。もうすぐスピリチュアルとか現実とか分けて考えるほうが旧い、という時代がくると思うし、すでにきていると思うし、作っていくことに貢献したいと、そう思うんですよね。

もうちょっと聞きたい!執筆ウラ話

執筆はどんなところでなさるのですか? やっぱり書斎とかホテルに缶詰とかですか?

あはは、全然違います。もっぱらファミレスです。編集者さんによると、ファミレスやカフェで原稿を書く作家さんって多いらしいですよ。家ですと何かと気が散るというか仕事を作っちゃっていけません。たとえばコーヒーを入れにキッチンへいったつもりが何かついでにしたくなっちゃったり、宅配便が届いたらそこで開けはじめたりしちゃうし…だからファミレスがGood!なんです。

そうだったんですか~。心がけているとか、気をつけていらっしゃることとかはあるんですか?

運動、睡眠、正食は基本で…心していることは「無理しない」です。というか私は、無理していることに鈍感だったんですよね。無理がきくほうだということが、この数年でわかりまして、以前から集中すると止まらないところはありましたし、まあ無理を無理とも感じないからこそ、できたこともあるとは思うのですが、年齢というのもあるのかしら、やはり歪や反動が出てきますよね、心身、両面で。「生涯現役」が今の目標なので、心地よく、ゆるやかに…腹八分目と同じで「この辺でやめとこう」ということを心して、注意しているところです。

運動といえばクラシック・バレエをしていらっしゃるんですよね。

ええ、もう8年くらいになります。そのおかげで30代40代に比べて、今のほうが体重、体脂肪率、筋力など体の調子は、よいくらいです。

苦労話ってありますか?

苦労話ですか~?とくにないですよ~。あのときは、ちょっと頑張ったというのはありますが、すべて必然必要ですし、学びですし、力になりますし。何より、したいことをさせていただいているんですからね~喜びです。喜び。すべて。私ね忘れちゃうんですよ、いろんなこと。だから嫌な思いしたとかいうのも忘れちゃうの。

ええ~?かなり意外です。すごいきちんとしていそうなので。

あ、それ間違ってます。(笑)物忘れでおっちょこちょいなもので、几帳面な夫からは、よく叱られるんですけど、夫に非があったときの昔話になっても「ええ?そんなことあったっけ、覚えてない」って調子なんで、そこはいいと言われますが。(笑)

そうしたリズさんのポジティヴ思考なあり方やライフスタイルについても、機会があったらまたぜひお聞きしたいです。今日は、どうもありがとうございました。

はい。どうもありがとうございました!