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PROFILEプロフィール

リズ 山崎

リズ 山崎 < Lyzz Yamazaki >

1960年生まれ 横浜出身
ロサンゼルスで14年間ピアノ弾き語りとして過ごし、自身の自己探求の経験からスピリチュアル心理学の研究を開始チャネラー&心理セラピストとなる。
これまでに刊行した著書約40冊(50万部)は自己啓発&女性エッセイの分野で多くの女性たちに支持され米国・ヨーロッパ・台湾・韓国など海外でも翻訳されている。

株式会社 リズ山崎オフィス代表取締役
作家・心理セラピスト教育学士

– 所属学会及び認定 –
日本森田療法学会(認定心理士)
米国催眠療法協会(認定ヒプノセラピスト)
全米ヨガアライアンス(認定RYT200ヨガティーチャー)
日本オルゴール療法研究所(認定オルゴールセラピスト)
裏千家茶道専任講師(茶名:宗泉)

BIOGRAPHYバイオグラフィー

1981年(21歳)
  • 音楽を勉強するため渡米、北アメリカ大陸横断一人旅を果たす。
  • グローブ音楽学院卒業後、クラブでの弾き語り、バンド活動、ヴォーカル講師、日系TVでのCMソングなど音楽活動を行う。
  • 米国永住権を取得。
1987年(27歳)
  • 自分への興味から自己探求に没頭、トラウマや前世をトランスパーソナル心理学にて衝撃的に体験後、ニューエイジ、座禅、ヨガ、アメリカインデアン居留地での断食キャンプなど心の旅に拍車がかかる、自らもセラピーを施すようになる。
1990年(30歳)
  • 不思議な神秘体験を通して「宇宙意識との交信(チャネリング)」がはじまり一大決心のもと音楽活動を停止、 セラピストとなるべく修行に入る。
  • スピリチャル・カウンリングを通して生育歴からのトラウマに着眼、トラウマを癒すことをカウンセリングに取り入れるようになる。(この体験がサラージ・メソッドの基礎となる。)
  • ロサンゼルスにて日系の新聞、雑誌では連載をもち執筆、ラジオではパーソナリティーとして番組をもつ。
1993年(33歳)
  • 日本で感情を解放するためのセルフセラピーCD「Dream Vision」をリリースする。
1994年(34歳)
  • CDリリース直後の父急逝を機に一時日本に活動拠点を移し「サラージ心理アカデミー」を開設する。
  • 「トラウマ・セラピー」が話題を呼び雑誌「CAZ」など女性誌に度々特集されるも、当時はまだ「癒し」「セラピー」という言葉は市民権を得ておらず普及の難しさを痛感する。
1996年(36歳)
  • サラージ・メソッドを心理学的方法論にまとめ上げることを目的に大学(明星大学教育学部心理学科通信課)に入学する。
1999年(39歳)
  • プライベートセッションを行なう傍ら雑誌等の取材を受ける。
  • 11月処女作「トラウマ心理ゲーム」刊行。
2000年(40歳)
2001年(41歳)
2002年(42歳)
  • 4月精神、心理、教育普及のためのNPO法人サラージを設立する。
  • 9月「幸せのコトノハ」刊行。
  • 11月横浜でセミナーを開催する。
2003年(43歳)
  • 4月NPO法人サラージの事務所を開設する。
  • 4月NPO法人サラージの事業として毎週1回無料電話カウンセリングを行う。
  • 9月毎週1回夜セミナーを行い通信講座(後の教材)を作成する。
  • 雑誌等の取材、連載等を行う。
2004年(44歳)
2005年(45歳)
2006年(46歳)
2007年(47歳)
2008年(48歳)
2009年(49歳)
2010年(50歳)
2011年(51歳)
  • 1月心理学とスピリチュアルを融合させた、プライベートセッション、ワークショップを積極的に行うようになる。
  • 5月東日本大震災支援のためブログにて募った募金にて宮城県南三陸町の人たちのために喪服をはじめ衣類や物資を届けに現地を訪れる。
  • 9月文庫版「My Life」刊行。
2012年(52歳)
  • 3月Ustreamでオンライン講座を開始する。
  • 6月「傷つかない練習」刊行。
  • 9月横浜でセミナーを開催する。
  • 11月第30回日本森田療法学会(東京大学)にて発表。
2013年(53歳)
  • 10月脳動脈瘤の手術・入院を経験。
  • プライベートセッション、オンラインレッスン、執筆、セラピスト養成などを行う。
  • 生涯現役を目標に、瞑想、クラシック・バレエ、ヨガなど自己管理に励んでいる。
2014年(54歳)
2015年(55歳)
2016年(56歳)
2017年(57歳)
  • 1月横浜・2月品川・3月横浜・4月横浜・5月大阪・7月北海道・8月品川・9月横浜・10月品川・11月大阪・12月横浜にてセミナーを行う。
  • 2月リズ山崎プロデュースオリジナル香水「Saraag」を発売する。
  • 5月横浜マリンタワー「ミズマチ」にてライブを行う。
  • 6月リズ山崎、作詞、作曲、演奏、オリジナルヒーリングCD「I‘m with youを発売する。
  • 10月横浜マリンタワー「ミズマチ」にてライブを行う。
  • 12月スピリチュアル月刊誌「アネモネ」から取材を受ける。(2018年1月号に掲載)
2018年(58歳)
  • 1月横浜・2月品川・3月横浜・4月広島・5月横浜・6月大阪・8月横浜・9月品川・11月品川・12月大阪にてセミナーを行う。
  • 3月、4月、5月、9月、11月横浜マリンタワー「ミズマチ」にてライブを行う。
  • 4月リズ山崎の「女神の学校」を開校する。
  • 11月YOGAティーチャー資格を取得する。
  • 12月クリスマス会を行う。
2019年(59歳)
  • 1月横浜・2月品川・4月品川・6月大阪にてセミナーを行う。
  • 1月、2月、3月横浜ランドマークタワーにてビジネスセミナーを行う。
  • 1月、3月横浜マリンタワー「ミズマチ」にてライブを行う。
  • 2月「世界でいちばん幸せな人の小さな習慣」刊行。
  • 2月インドへヨガ研修に行く。
  • 6月「お金に愛される引き寄せ波動の磨きかた」30日間オンライン講座を開始する。
  • 7月「宇宙からのメッセージ」が商標登録される。(登録番号6158047号)
  • 10月「ザ・ユニバース」引き寄せ波動の磨きかた6ヶ月講座を開催する。
  • 11月リズ山崎の「公式ライン@」を開設する。
  • 12月3年間開設した会員制サイト「引き寄せ倶楽部」「引き寄せアカデミー」を終了する。
2020年(60歳)
  • 1月ハワイで動画撮影、ヒーリングなどを行なう。
  • 3月「ザ・ユニバース」引き寄せ波動の磨きかた6ヶ月講座が終了する。
  • 4月会員制サイト「リズ山崎の会員制オンラインサロン」を開設する。
  • 4月「結婚を引き寄せる愛され波動の磨きかた」30日間オンライン講座を開始する。
  • 5月文庫版「My Life」が増刷される。
  • 8月「ザ・ユニバース2期」引き寄せ波動の磨きかた6ヶ月講座をオンラインで開催する。
  • 10月リズ山崎公式サイトを8年ぶりにリニューアルオープンする。

リズ山崎 自己紹介

プロフィールに続き以下、リズ山崎自身の言葉でより詳しいプロフィールを紹介いたします。
時系列になっている部分もありますがそうでない部分もあります。少々長くなっておりますが、ご興味のある方はお読みください。

◆子ども時代◆

【生後から小学生時代】

東京出身の両親のもと三人兄弟の末っ子として横浜に生を受けました。実家は傘の卸業を営んでおり、いわゆる自営業、お店の奥と二階が住まいでした。スキー、登山、写真が趣味だった父の影響で3歳からスキーを始めました。来客も多く、よくお茶運びをしては可愛がってもらったことを覚えています。

幼稚園からは、明治時代にイギリスの宣教師によって建てられた横浜英和学院というキリスト教主義の女子一貫校に入り中学校までを過ごしました。
成績は5段階で1から5までオンパレード、算数・理科はからきしダメで体育・音楽・国語はよかったです。
小学校では、陸上と体操に熱中しました。走り高跳びでは新記録を出し6年生しか出場できない400m走には5年生の私を学校が6年生と偽登録して大会に出させたというエピソードがあるくらいです。
体操で期待され上手になりたくてバレエを数年間習ったり元オリンピック選手が指導する体操教室へ東京まで通ったりもしました。ピアノも幼稚園から習いはじめましたが、なにせ身体を動かすことが好きだったものでこちらは練習せず伸びることはありませんでした。(今となって思えば現在よくいわれるところのADSD、アスペルガー症候群など「発達障害」「学習障害」の域にあったのだと思います。)

走り高跳びでの新記録は「祈りがもたらす奇跡」との自覚が当時からありました。楽しく活発に過ごした小学時代でしたが4年間近くイジメにあった経験もあります。

【中学生時代】

いじめに悩んだ小学校中学年から高学年「人はなぜ生きるの」とずっと思っていたのですが中学1年のとき学校の礼拝堂に座っているとき声が聞こえました。「人は、幸せになるために生まれてきた」と、それから何かがはじけ、いじめの問題も解消しました。
親友と呼べる友だちもでき中学校では体操部で朝から放課後まで体操の練習ばかりしていました。
兄の影響でフォークソングやブルースが大好きになり泉谷しげるさんや武田鉄矢さんも在籍していたエレックレコード(現フォーライフレコードの前身)へ足しげく通い、とくに生田敬太郎さんというシンガソングライターに夢中になりライブやコンサートに出かけるようにもなりました。
学校では体操ばかり家ではレコードばかり聴いていたのですから勉学の成績がそれなりだったのは疑う余地がありません。

【高校時代】

「幼稚園からたったひとつの学校環境しか経験しないでよいのか」と考え、にわかに塾通いなど受験対策をし高校は”外へ”出ました。
徒歩通学から憧れの電車通学、男女共学、風紀もゆるかった学校(横須賀学院)でDiscoにはまったりなど、かなりハメを外し親や先生方には迷惑や心配をたくさんかけてしまいました。
その一方で、たった一人でスキー部をつくり関東大会やインターハイにも出場し関東大会では7位入賞(雪なし県での優勝)を果たし全校生徒の前で表彰されたりもしました。
スキーは3歳からしてはいましたが回転や大回転など旗門を滑る競技スキーはとてもとても難しくはじめは完走さえできませんでした。けれども登校前に一人早朝練習したりイメージトレーレニングをしたりしたことが上達の秘訣だったかなと今では思います。
高校時代は、兄が二人いたこともあり家では”三男坊”と呼ばれていたので男子と行動するのも好きでした。ディスコで踊ったりするのが好きでかなり派手な高校生いわゆる不良っぽかったですがムチャクチャだっただけに楽しい高校生活でした。
家では相変わらず音楽を聴いたり詞を書いたりエレクトーンを弾いたりなどしてテレビはあまり観ないほうだったと思います。

【社会人のはじまり】

進学も就職活動もしないまま漠然と「音楽関係」と思っていたところ従姉妹の紹介でプロダクションNOVAという音楽事務所に入りました。名だたるところでは、すぎやまこういちさんや森雪之丞さんなどの作家を抱える事務所でCMソングやアニメソングのレコーディングをするディレクターのアシスタントをはじめました。
レコーディングスタジオの雰囲気やミュージシャンがそれぞれ準備したりする様子がとても好きでした。
そんななか社内異動でアレンジャーの付き人をすることになったのですが、これがとてもハードで楽しかったので気づかなかったのですが突然倒れてしまったのです。胃潰瘍でした。
休養を余儀なくされ仕事を辞めました。それからは歯科助手やシーンズショップでバイトをして過ごしました。
20歳になったとき2年間していた貯金でアメリカへツアー旅行をしたのですがロサンゼルスの青空、空気、エネルギーといったものに何かものすごい衝撃を受けました。
“心が呼吸できる“というか”魂が目を覚ました”というか…感覚的なものなのでうまく表現できませんが帰国してからも頭から離れず渡米を決意します。
冬の間はスキー場(苗場プリンスホテル内の好日山荘というスキーショップ)でバイトし21歳の夏アメリカ ロサンゼルスへ渡りました。

◆14年間のアメリカ生活◆

【21歳でアメリカへ】

アメリカは、私にとってはほんとうに相性がよかったです。
子どもの頃からどうしても目立っちゃう。”出る杭は打たれる的”でかなりハチャメチャでしたがまだまだ心のなかで手足を縮めている自分がいたのだと思います。
渡米後、長距離バスで「大陸横断ひとり旅」を1ヶ月しました。
それからは、日本食レストラン等でバイトしながら英語学校へいき、しばらくしてからはノースハリウッドにある音楽学校(Grove School of Music)に二年間通いました。
徐々に日系のナイトクラブで弾き語りとしてビアノを弾きながら唄うようになりました。この仕事を帰国する少し前までしていました。
また、その他、日系TVのCMソングやユニットやバンドでの活動、作詞作曲の活動、ヴォーカルレッスンのトレーナーなどをしていました。
仕事以外では、スポーツクラブでエアロビクスをしたりダンスを習ったり空手を習ったりもしました。空手はシュワルツネッガー氏とも親しく映画「コナン」の太刀の振付もなさった山崎清先生に教えていただきました。
26歳のとき永住権を取得しました。このときわけあって取得できるかできないかで大変な思いをしました。非常に確率が低いことがわかっていたのでダメなら日本へ帰ろうという気持ちでした。実はそのとき霊能力でマスコミでも有名だった宜保愛子さんに相談したところ「無理だから日本に帰ってきた方がいい」と言われたのです。ところが私はその電話の受話器を置いた瞬間に受話器から腕に逆流した電流が脳を直撃するかのような感覚を得、その瞬間なぜか「とってみせる!」と思ったのです。結果、永住権を取得することができました。
★こちらのエピソードの詳細は チャネリングと私

その後、26歳ころから”自分とは何なのか”ということをしきりに考えるようになり心理学や宗教、哲学の本を読んだり集会へ参加したりヨガや座禅もするようになりました。
この頃、感銘を受けた本にアメリカの女優シャーリー・マックレインさんの「アウト オン ア リム」シリーズ三作がありまして私は真の自分、魂の生き方、今世での使命というようなものがあるのならそれを知りたいと強く望むようになりました。そんなとき自分の前世を体験できるかもしれないという心理セラピーがあると知り早速受けることにしました。

【トラウマに出逢い人生が変わる】

私が初めて受けた心理セラピーとは、ドイツ人の心理学者スタニスラフ・グロフ博士が開発したホロトロピック・ブリージンクという方法でした。(グロフ博士は、エリザベス・Q・ロス博士と同じ考え方で人間の潜在意識や死後肉体を離れても意識は存在するということを研究、普及されておりトランスパーソナル心理学の創始者です。)
そのセッションを受けた私は、なんと前世体験のかわりに、子ども時代のトラウマを体験、それは厳しく怖かった母から理由も聞かれず叱られたことへの口惜しさや、理解されない悲しみといった抑圧感情で、意識はあるのですが、夢を見ているようなリアルさのある体験でした。
子どもの自分になって泣きじゃくりました。

母との関係は決して悪くはありませんでしたし、自由奔放に好き放題やっていた私でしたが、どこかいつも気を使ってほんとうに言いたいことが言えていないところはありました。そして、この経験を機に、ずっと心の違和感でもあった”本当の自分”と”作られた自分”のナゾが溶けていくようでした。つまり、本当の自分があまり育たず、気に入られる自分ばかりで生きてきたような感覚が自分の中には絶えずあって、その違和感を拭いきれずにいた。その理由がここにあったのかと納得できたという感じでした。
わかったところまではよかったのですが、そこからがさぁ大変。というのもこれまでの自分・人にばかりいい顔しようとする自分と、内側でほんとうは感じている確かなものを感じ分けたり、それはそれはたくさんの物の見方やとらえ方、行動に至るまで、真の自我に生まれ変わるために自分解体を余儀なくされたからです。

同時に母への憎しみを自覚しなければなりませんでしたし、また頭でわかっている母への感謝という部分で葛藤もあり”許し”というテーマにも取り組まなければなりませんでした。
幸運なことにヒッピー発祥の地でもあるアメリカ西海岸は、東洋哲学と心理学を融合した精神世界いわゆるニューエイジのメッカでもありましたから、自己探求のためのワークショップや各種セラピーを受けることができ、仕事を続けつつ自己を再生していくことができました。
グロフ博士やディパック・チョップラ博士のワークキャンプにも参加し、ゲシュタルト心理学の拠点であるエサレン研究所にも滞在するなどしました。
また、自分のほんとうの感覚に従えば従うほど、化粧し着飾るピアノ弾き語りをすることに心身が拒絶反応を示し、仕事を減らし最低限の生活ができるところへ引越したりもしました。

【自然とやっていた心理セラピー】

期を同じくして、私が受けたセラピーを日本語でやってほしいと友人から頼まれ、それではとキーボードで即興演奏をしながら抑圧感情の解放をするようなセラピーを少しずつ行うようにもなっていきました。セラピーを行なってみると興味本位で受けてみただけの友人らはそれぞれに内的な体験をされることがわかりました。ある人は泣き、ある人は身体を動かし、またある人は行った覚えはないけれども妙に懐かしい風景のなか平安なひとときを過ごすなどのなどの経験をされるのを目の当たりにし自己解放の素晴らしさとか人間の意識の計り知れなさに感慨深いものがありました。

でも、当時はもちろん自分が現在のような仕事についたり本を書くようになったりするなどとは夢にも思っていませんでした。ただ、そのとき、せずにいられないこと、興味のあること、いくらでもしていたいと思うことに夢中だっただけという感じでした。

◆1995年日本に帰国◆

【36歳から大学へ】

自己探求に夢中になっていたある日、神秘体験をしました。★詳しくは チャネリングと私
それを機に、ピアノの弾き語りという仕事にも心身ともに耐えかねて、仕事を辞め、精神的な修行を行いつつ、スピリチュアル・カウンセラー及びチャネラーになりました。30歳を過ぎてのことでした。
34歳のとき、父が急逝したので一旦日本へ戻りました。当時の日本は、スピリチュアルなことへの関心はとても低く受け容れられないと感じました。
ちょうどそのころ、すでに心理セラピーも提唱するようにもなっており「トラウマ・セラピー」が雑誌CAZに取り上げられ、チャネリングで得た情報をどうにか心理学的な方法論にできないかと考え、36歳から四年間、明星大学教育学部 心理学科に学びました。
心理セラピーの仕事をしながらの勉強(課題レポートや単位テスト)はそれなりに大変でしたが、時間と身体を有効に使うトレーニングになりました。

【茶道】


日本に帰国して思ったことは、「私は日本のことを何も知らない」でした。
アメリカでは日本文化を熱心に学んでいる外国人がいることを知りましたし、その人達は本当に「自分に日本人の血が流れていれば」と思っているのに、その日本の血が流れている私はアメリカに憧れ長年生活はしたけれど日本文化のひとつも身につけていないと考えたのです。
当時は、そんなに長く日本にいることになるとは考えていませんでしたので、休み休みでも長く続けられるものがあれば、これを機会に入門してみたいと考えました。
それで私は、借りたばかりのまだ何もないワンルームマンションで、一晩かけてタウンページを1ページずつめくってみました。古美術、刀剣鑑定士、印鑑職人などなど日本ならではの職業がずいぶんあるものだなどとわくわくしながらページをめくったのを思い出します。それで茶道を習うことにしました。(裏千家茶道)
そこで出会った、私の茶道の師 須坂宗昌先生は、当時70代でいらっゃいましたが、それはそれはやさしく寛大で、また楽しく前向きな素晴らしいお人柄で、私は心底惚れ込み、このご縁、お導きに感謝しました。茶道に関することはもちろんのこと、たくさんのことを経験・吸収させていただくことができました。
先生の助手として週一回カルチャー・センターでお教えすることも数年続けました。(もちろんきものを着て)
また外国の方に英語で茶道を教えるためのインターナショナル・セミナーも受講したり、茶道も上級になると茶懐石の料理もできるようにならなければならず、先輩方からも色々教えていただきました。
地道に続け、入門から11年後には茶名を取りました。(宗泉)
現在は、お稽古から少々遠のいており、きものを着る機会もほとんどありませんが、そろそろまた復帰したいと思っているところです。

◆執筆活動の開始◆

【執筆活動の開始】


はじめての本が出たのは2000年40歳のときです。雑誌CAZの編集者の方からの紹介で「トラウマ・セラピー心理ゲーム」という本でした。トラウマがテーマでしたが内容はかなりふざけたもので迷いましたが「本が名刺代わりになるからぜひ書くとよい」とその編集者さんも言ってくださったので出版社さんの要望に応える形で一冊目は出しました。(あとから勧めてくださった編集者さんでさえ「ずいぶん過激な本を出しましたね」などと言われてしまいました。)
三冊目の「トラウマ・セラピー 幸せの法則」でようやく自分が伝えたい内容の本を出すことができました。
それから20年間の間に文庫化されたものも含め現在40冊の本を出しました。今の目標は「生涯現役」です。

【結婚】

 

結婚願望はあったようななかったような。
仕事を生涯続けていくことが最優先でしたので、友人からは「あなたに必要なのは“奥さん”ね」などと言われていたくらいでした。それでも縁あり2000年には、歳の差婚&スピード婚をし現在に至ります。
スピード婚だっただけに、結婚してからお互いのことがわかってくることが多く、後に引けないところもあり、時にはずいぶん踏ん張りましたが、それはお互い様のこと。
結婚生活は、素晴らしい成長の場だと思います。ぶつかったり、話し合ったり、理解しあったり、補いあったり意固地になったり謙虚になったりしながら…10年過ぎたときようやく夫婦になってきた感があり「そうか、“夫婦には”、”なっていくもの”、なのか」などと思いました。
夫の趣味はサーフィンとジム通い、私は、バレエのレッスンとチャネリングと共通の趣味はありませんがほとんど毎週温泉へいっています。B型同士だからなのか、干渉し合わないのがちょうどよいのかもしれません。

【森田療法との出逢い】


2004年から4年間森田療法セミナーに学び森田療法を習得しました。
現在では、日常のセッション等に用い、学会発表、論文投稿に励んでおり2014年に「認定森田療法士」を取得しました。
★詳しくは 森田療法と私

【辛かった更年期障害】

40歳半ばから更年期障害に苦しみました。それもホットフラッシュといわれるほてりや発汗など典型的な症状がなかったため、はじめ何かの病気かと心配しました。
更年期障害は、その名の通り更に年を重ねるにあたっての時期ですがそれは「更に生きていく」ための工夫や見直しの時期でもあるのかと、今は思います。それまでは、無理がきいたけれど心身辛いとほんとうに無理できません。それでも「これまでどおり」を続けていくには、どこをどう緩めるか、手放すか、そうしたことをこの時期ずいぶん考えました。今は症状的なものは終わりかけているように思います。

【オルゴール療法との出逢い】


更年期障害とはわからずに症状に苦しんでいた2008年の秋、オルゴール療法に出会いました。なにしろ身体が重くてだるくて疲れ果てて、肩や首が張って仕方がなかったあるとき、オルゴールに手をあてて30分くらいいたところ、すっかり軽くなってびっくりしてしまいました。
更年期障害は女性ホルモンの減少によりますが症状としてはどれも自律神経失調症に関係します。
精巧なオルゴール(スイス ルージユ社)の発する超高周波と超低周波は、人間が耳で聴こえると認識できるいわゆる「可聴域」を遥かに超えた幅広い波動だそうですが、この周波・波動が自律神経を司る脳幹に直接作用するようです。
それほどの超高周波と超低周波の中に身をさらすには、一流のオーケストラの生演奏を聴くかジャングルの中にいるときかしかないのだそうです。
★「オルゴールは脳に効く」(佐伯吉捷)
その効果に驚いた私は、プライベート・セッションやワークショップでもオルゴール・セラピーも導入しようと日本オルゴール療法研究所を訪ねオルゴール療法士第一号にならせていただきました。
現在では、CDでの音楽も使いますがオルゴールの超音波、微振動が波動によいのでセッションではオルゴールを積極的に用いています。